『スッタニパータ』
・お釈迦様の一番古い経典の中に『スッタニパータ』があります。
・スッタニパータには、釈迦の話された言葉が書かれてあります。
その言葉は、人として生きるべき道をお話しています。
「慈しみの心」朗読:中村 元
○【慈しみ】第一 蛇の章から
・究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して、なすべきことは、次のとおりである。
・能力あり、直く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上ることのない者で、あらねばならぬ。
・足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。
・他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
・一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
・いかなる生物生類であっても、怯えているものでも、強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
・何びとも、他人を欺いてはならない。
・たといどこにあっても、他人を軽んじてはならない。
・ 悩まそうとして、怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
・あたかも、母が己が独り子を、命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起すべし。
・また全世界に対して、無量の慈しみの心を起すべし。
・上に、下に、また横に、障害なく、怨みなく敵意なき、慈しみを行うべし。
・立ちつつも歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
・諸々の邪まな見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
「こよなき幸せとは」朗読:中村 元
○【こよなき幸せとは】第二 小さなる章から
・多くの神々と人間とは、幸せを望み、幸せを思っています。最上の幸せを説いてくださいと賢者が釈尊に問いかけた。
259: 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること。これがこよなき幸せである。
260: 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい請願を起こしていること。これがこよなき幸せである。
261: 深い学識があり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること。これがこよなき幸せである。
262: 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと。これがこよなき幸せである。
263: 布与と理法にかなった行いと、親族を愛し護ること、非難を受けない行為をすること。これがこよなき幸せである。
「矢について」朗読:中村 元
○【 矢 】第三 大いなる章から
・この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるか解らない。惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。
・生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
・熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は死なねばならぬ。かれらには、つねに死の怖れがある。
・たとえば、陶工のつくった土の器が終には、すべて破壊されてしまうように、人々の命も、またそのとおりである。
・若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。
・かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。
・見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去れる。
・このように世間の人々は死と老いとによって害われる。それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
・汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。汝は、生と死の両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。
・迷妄にとらわれ、自己を害なっている人が、もしも泣き悲しんで、なんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。
・泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。ただかれには、ますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。
・みずから自己を害いながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。
・人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。
・亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕われてしまったのだ。
・見よ。他の生きている人々は、また自分のつくった業にしたがって死んで行く。かれら生あるものどもは、死に捕えられて、この世でふるえおののいている。
・ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。壊れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ
・たとい、人が百年生きょうとも、あるいはそれ以上生きようとも、終りには、親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。
・だから、尊敬さるべき人の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」と悟って嘆き悲しみを去れ。
・たとえば、家に火がついているのを水で消し止めるように、そのように智慧ある。聡明な賢者、立派な人は、悲しみが起ったのを速かに減ぼしてしまいなさい。たとえば風が綿を吹き払うように。
・己が、悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が、楽しみを求める人は、己が、煩悩の矢を抜くべし。
・煩悩の矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
・『スッタニパータ』には、人として正しく生きる道が、対話の形で具体的に語られています。お釈迦様の言葉がたくさん載っています。ここではその一部を載せました。