利尻山

★高齢者の仏教    「釈迦の世界観」

釈迦の世界観

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■・このページでは、釈迦がなぜ出家をしたのか (四門遊観)・悟りとは何なのかをお話しします。

・6年間のバラモン僧として、苦行難行をしても悟りを得ず、諦めかけていたとき、村の娘からの施しを受けて、生気が体に宿り、瞑想に入り悟りを得た。

・釈迦の悟りは、この世の真理と縁によってすべてが結びつき存在している世界と、人を苦しめている苦悩は、己の心にある煩悩によるもので、その煩悩の炎を沈める方法を悟ったようだ。

・悟りのきっかけは、村の娘の一杯の乳粥であり、この娘と粥が、悟りの道を開いたことを考えると、縁の世界の正しさが理解できる。

・釈迦は、この世は無であり、何もない世界で、縁により存在したものは、やがて消滅し消え去る無常の世界であることを悟る。 (諸行無常、諸法無我、縁起法)

・また、人が生きることには苦が伴い、その苦に人はもがき苦しみながら生きていること。 (一切皆苦)

・その苦を取り除き、心穏やかに平安に生きることが、人の道であることを悟る。 (涅槃寂静)

・このページでは、これらの釈迦の世界観「四法印と縁起法」をメモしてみました。


 (しもんゆうかん)
・釈迦は2500年前、北インドの小国「釈迦族」の王子として生まれた。
・王子として何不自由ない生活をし、結婚もして子どもも授かったが、ある夜、城の四つの門から抜け出して外の世界を見た。

・東門を出ると杖にすがる年老いた老人を見た。
・西門を出ると苦しむ病人に出会った。
・南門を出ると死人に会った。生きる人々の「老・病・死」を初めて知った。
・今度は北門を出ると修行僧に出会った。

・なに不自由のない自分の世界と城の外の人々の世界の違いに驚き、
やがて自分も「「老・病・死」に苦しむのかと悩んだ

・29歳の時、この苦悩を解明するため、すべてを捨ててバラモン僧の修業僧となる。
・その後、6年間の難行苦行ののち、菩提樹の木の下で、釈迦は悟りを得て「仏陀」となったといわれている。

■・釈迦が悟った事象の真理とは何であったのか。

・6年間のバラモン僧のすさまじい難行苦行を続け、釈迦の体は骨と皮だけになっていた。
・苦行ではこの苦悩を取り去ることはできないと悟り、ナーランジャー川で身を清め休息した。

・そこを通りかかった村の娘スジャータが哀れな釈迦を見て乳粥(パヤス)を差し出した。

・やがて元気を取り戻した釈迦は、ブッダガヤの菩提樹の下で深い瞑想に入った。

・その瞑想後、悟りを得た釈迦は、己の悩みの元を理解し「解脱」して仏陀となった。

・その悟りの真理は、余りにも難しく難解であった。
・人々に悟りの真理を話しても理解ができないと思い伝えることをためらっていたが、
・そこに梵天(ぼんてん)が現れて伝えることを強く勧(すす)められ伝道を始めたといわれている。


 (しょてんぽうりん)

・釈迦の最初の説法の場所は、悟りの地ブッダガヤーから約250㎞離れたベナレスの郊外にあるサールナート(鹿野苑ろくやおん)です。

・昔、苦行を共にした5人の修行僧(釈迦族)に、釈迦は初めて悟りの教義をマガダ語で話しました。
・このことを『初転法輪』と言います。

・その話とは・・・
・仏典の「中道説・四諦説・八正道説・十二縁起説等」を説かれたようです。

・初転法輪日は チベット暦で6月4日です。
・釈迦は4月15日に菩提樹の木の下で悟りを開かれた後、7週間説法を行なわなかったといわれています。

・そして6月4日、ベナレスのサールナート(鹿野苑)で、初めて5人の修行僧に説法を行いました。

・釈迦が生きていた時代のインドは、バラモン教の時代で「カースト制」の世界です。
貧しい者や虐げられた者は、生きること自体が「苦の連続」の世界です

・釈迦から法(真理)を聞く人々には、悟りを求める修業者たちや在家の人たち、虐げられた女性たちや老若男女のあらゆる階層の人々でした。

そんな人々に釈迦は「苦の連鎖」を断ち切る「心のあり方」を諭します。

・悟りを求める修行者たちには、悟りの方法を教え、苦悩を抱えていた人には、やさしい言葉で凡例を使い、その苦悩を取り除く方法を覚えやすい詩の形で説諭したといわれています。

・初転法輪から80歳で入滅するまでの45年間、釈迦は人々に「苦の連鎖」を断ち切る法を説き、その教えの輪がだんだんと世の中にひろまって仏教教団が生まれました。

・現在、世界の仏教徒はアジア中心に約5億人で日本人の多くの人も仏教徒です。

・釈迦自身は、仏教教団をつくることを望んでいませんし、悟りの真理も一切記録を残していません。

・現在の仏教仏典は、釈迦の説法を弟子達が記録し整理してまとめたものです。
・そのため弟子達の思いや願いが仏典に追加記録されていると思います。

・釈迦が初転法輪で話された「中道説・四諦説・八正道説・十二縁起説等」の法が、釈迦の教えの中核法だと思います。

・時はバラモン教の時代で「輪廻転生」の教えが根付いていました。
・矛盾する混沌とした社会の中で、人々の「苦の連鎖」を断ち切る方法を諭して「力強く幸せな人生を生きること」を示したのが釈迦の教えだと思います。

・貧しきものよ弱きものよ、汝はなにも怯むことはない。
・太陽は、富めるもの貧しきものにも等しく平等に光を与えてくれる。
・月は、強気もの弱気ものにも等しく平等に暗闇に光を与えてくれる。
貧しきもの・弱きもの、なにも怯むことはない。犀の角のように力強く生きれ。
・己の煩悩の火を消し涅槃を目指して生きれと釈迦の遺言「自灯明、法灯明」で述べています。

【用語解説】
 *釈迦とは=釈迦族の聖者という意味。
 (名前=ゴータマ・シッダール。仏陀(ブッタ)・釈尊とも呼び、日本ではお釈迦様と呼びます。)
 *仏陀= 悟りを得た人 (悟りを得た高僧も仏陀と呼びます。)
 *梵天=古代インドの梵天界の主「ブラフマン」を神格化したもの。帝釈天ともいう。
 *鹿野苑=鹿が住んでいる森 そこに昔苦行を共にした5人の修行僧達がいた。
 *マガダ語=釈迦の生まれ故郷のことば。
 *仏典は、やがてパーリ語、サンスクリット語に統一されて記録された。
 *自灯明=自分で明かりを灯すこと。
 *法灯明=法の明かりを守ること。


★ 釈迦の世界観 四法印 (しほういん)

・釈迦が悟った世界は「四法印と縁起法」で述べられています。

・私たちが存在している世界は、実は実体のない無の世界で何らかの因縁によって無の世界に存在している。

・その存在は、永遠な存在ではなく、やがて消滅して消え去る存在である。  (諸行無常)
・人も同じで、永遠の生命などはなく、やがて死を迎えて消え去るだけである。(諸法無我)
・すべての人には「生老病死」の基本苦がともない、例外は存在しない。   (一切皆苦)

・その苦の輪廻から解き放されるのは、苦の法を理解して正しい知恵を持って生きることで、安らぎのある涅槃の境地にいたり生きることができる。(涅槃寂静)

・この世は、原因と因果によって淡々と流れている世界で、不可思議な力を持った救済者などはどこにもいない。

・四苦の苦からは誰からも救ってもらえず「自分自身の努力で、自分の心を安穏の世界に導くしかない。

自分で真理の炎を灯し、その炎で自分を照らすことが大切だ。とこの世界の法(真理)を説明した。


・四法印とは、釈迦が説いた最も基本的な法です。
・この世界には、四つの根本法(真理)がある。この四法印を悟りなさいと教えた。

・この四法印は、釈迦が悟った世界観を示しています。
・四つの根本法とは、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静で、仏教を知るための最も大切な教えです。


 (しょぎょうむじよう)の世界とは

・この世にあるものは、すべて移り変わり、変化しながら、やがて消滅して消え去るのが定めである。

・人も同じであり、孤帆(こはん)の舟に乗り、雨風に吹かれて流され、やがて消え去る定めで、永遠につづく命などはなく、この世は「諸行無常」の世界であることを諭した。

・この教えは、世界は常に変化するもので、とどまるものは何もない世界である。

・人は、過ぎ去った過去にとらわれずに、いまを大切にし強く生きることを説いている教えです。

・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
 猛き者もつひには滅びぬ、まさに風の前の塵に同じ。(*「平家物語」冒頭文)

・ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。
 世の中にある人とすみかと、また、かくの如し。(*「方丈記」冒頭文)



 (しょほうむが)の世界とは

・すべてのものが消え去る世界ならば、この世には永遠不滅のものなどなく、また絶対不滅のかたちある実体も存在しない。

・この世は「無の世界」であり、そのため実体や個々の「私とか私のもの」という自己も存在しない。すべてのものは、因縁の結果によって存在している世界である

・釈迦の「諸法無我」は、あらゆる存在が自己独立的に存在するのではなく、因縁によって、相互に依存し合って成り立っているという世界観です。

・それは、私たちに自己中心的な考え方を超えて他者に対する配慮を持ち、広い視野を持った眼で、世界を見ることの大切さを諭しています。

・釈迦は、この世は「無(む)」の世界であり、菩薩は「空(くう)」の世界と説いています。

・「無も空も」その意味するものは同じですが、仏典の漢訳が違います。
 その為、長い間いだ仏教学者の間で論争が続いています。
・この世の存在するものは一時認識されますが、それは因果関係によって一時、現れているもので、
 そのため、やがて時の流れに乗って、その痕跡は跡形もなく消え去ってしまいます。
・世界は、また「無に帰(きし)して空(から)っぽ」の世界になります。それを「諸法無我」といいます。

 (いっさいかいく)の世界とは

・無常・無我の世界で、この世に生まれたすべての人は、やがて死ぬまで「苦」という苦悩と共に生き続け、四苦からは誰も逃れられないと説いた。

・釈迦は、人は四つの苦から逃れられないことを教え、さらにその苦は「心のありよう」でさらに増えることも釈迦は諭した。*一切とは=すべての人という意味

・いや、私には苦など無いという人もいるが、その人もやがて歳をとり体が動かなくなり死を迎えるという苦が待っている。
・血気盛んな人でも、生きているうちには病にかかり病苦も起こる。
・生まれて生きると言うことは、何らかの「苦」が伴うという教えです。

・人の「苦」の大きさや深さは、生まれて育った家柄、家族や環境でそれぞれ違います。

・苦が少ないのは幼い子供たちです。
・しかし、その子も大きくなり成長すれば、いろいろな苦が生まれてきます。

・人は、思いどおりに生きれないことはみんな知っています。

・苦があるのが人生ならば、この世は地獄と同じではありませんかと修行者は釈迦にたずねた。

・釈迦は、苦から逃れ、心が穏やかで自由で幸福な境地の世界がある。

・その境地に達するのは、汝(なんじ)の心がけしだいであると説いた。


 (えんぎほう)の世界とは

・釈迦は、この無の世界に存在するあらゆる物事は、因縁(いんねん)によって生じているものであって、これも時の流れで変化し消滅すると説いた。

・この世界では、縁(えん)が切れると物事は消え去るものであり、そのため一切の物事には、永遠不滅の実体はないと教えた。

・釈迦の「縁起法(えいんぎほう)」は
「これがある時、それがある。これが生じる時、それが生じる。これが無い時、それは無い。これが滅する時、それが滅する。」と仏典で述べている。

・あらゆる物事は、すべて因果の関係で成り立っており、個々の物事は、それ自体では個々には存在しないというのが、釈迦の縁起法の教えです。

・縁起世界では、たとえば、花は種(たね)がなければ咲くことはできません。
・また、土や水や温度や光がなければ、花を咲かせることもできません。

・花が咲く世界は、種・土・水・光・虫・温度など、すべてが何らかの縁で結びつき、種から花が咲いています。
・しかも、その縁の一つでも切れると、花が咲かない世界です。

因の基とは「種」、縁の基とは「土・水・光・虫など」、その結果「花が咲きます。」

・「無」の世界では、見えるもの、聞こえるもの、触れるものには、すべて因の基(原因)があり、それが因縁で結びつき、結果を生んでいる世界です。

この世は「因の基・縁の基・果の基」で、存在していると釈迦は説きました。


 (ねはんじゃくじょう)の世界とは

・すべてが「無常・無我」の世界の中で、人々は煩悩(ぼんのう)に苦しみ、苦悩して生きています。

・それらの苦痛から解放された静かな幸せな世界を「涅槃寂静」の世界といいます。

・釈迦は、苦の因である、我執(がしゅう)と煩悩を滅却(めっきゃく)することで「涅槃の境地」が得られ、
・人々は、苦から救われて幸せな人生を過ごせると説きました。

・涅槃寂静とは、サンスクリット語で「ニルバーナ」と言います。
・風が煩悩の火を吹き消すことを意味しています,
・煩悩の火が消え、苦の火も消えた悟りの状態が求道者が求める仏教の最終目的です。

   

・それでは悩みのない悟りの境地とは、どのような世界なのでしょうか。

・それは、穏やかに赤子を見守ることができる「心の平安」な状態です。

・釈迦は「無常・無我の法」を正しく知り、己の無知を知り、己に執着する我執の心を断てば、煩悩の炎は消え去り、苦の束縛から解放されて「心穏やかに平安になる」と教えてくれました。

・人の精神世界を知れば穏やかに物事を見ることができると言うのが、釈迦の世界観のようです。

・釈迦は、苦の因である「己に執着する我執と煩悩の炎を消す方法」の『滅却法(めっきゃくほう)』も話された。

・つぎは『滅却法(めっきゃくほう)』について調べてみましょう


    

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